過労死防止大阪センター

【コラム】どんな勝利でも「ざまあ」です

幹事 田島陽子

世間では「ざまあ」する物語が流行っているらしい。
例えば、ヒロインに婚約者を奪われて衆目の中、婚約破棄と断罪をされた悪役令嬢が、無実を証明して反対にヒロインと元婚約者が落ちぶれる物語。
異世界召喚されて王から勇者として魔王を倒せと言われ、成功したら用済みで追放されたので、国を乗っ取って理想の国を作る物語。
モラハラ夫から虐げられていた妻が、夫の浮気相手に離婚を迫られて、反対に浮気相手と夫から慰謝料を勝ち取って、新たな人生を手に入れる物語。
ブラック企業に就職して長時間労働と社長からのパワハラにあった社員が、退職後に同業で起業して成功する物語。
これらの物語は、小説や漫画として提供され、あるいは「実際にあった話」としてネット上に投稿され、多くの人が楽しんでいる。
「ざまあ」という言葉は、報復によって気持ちが晴れるという状況を、スカッと端的に表している。
これだけ多く「ざまあ」が望まれている状況とは裏を返すと、何かを我慢したり、不満があったりするどうしようもない状況にある人が多くいるということ。そして、話しの中だけでも気持ちを晴らしたいということなのだろう。
さて、現実では「ざまあ」を成功させるのはむずかしい。
私は、労災職業病センターの職員である。
職場改善よりも、個別の労働災害被災者の相談対応が日常業務の多くを占めている。
被災労働者は、被った被害に対する補償を求めている。補償のみではなく、なぜ自分がこのような目に遭ったのかという原因の追及、あるいは加害者への報復も求めている。自分に何の落ち度もなく、心身を損傷されたのであるから当然の感情である。
しかし、正当ではあるけれどわずかばかりの補償を得るためだけでも、被災者の前には様々な壁やら山やらが立ちふさがる。
労災保険の適用を受けるにも、労働時間やハラスメントなどの出来事の証明をしたり、医学所見を得るために専門医に意見書を頼んだり…。行政手続と言っても初めて手続を行う被災者が自分一人でできるものではない。
また労災認定されて、労災の責任を事業主に問うにも、被災者自身が相手側の責任や過失を証明しなければならない。一労働者では知り得ない情報を持つ事業主側は、高額な慰謝料を支払いたくないために、証拠を隠したり、嘘をつくこともある。
裁判で損害賠償を勝ち取っても、事実や原因がつまびらかとなり、事業主や加害者から謝罪されることは少ない。
相手を「ぎゃふん」と言わせるような「ざまあ」は実現できない。
それでも、みな様々な「ざまあ」を勝ち取っているのではないかと思う。
時間もお金も精神力も削って闘って勝ち取った勝利は、それだけですばらしいこと。誰もが黙って泣き寝入りする訳ではないと、相手にもの申したのは大きな一石。
被災者や虐げられた当事者が声を上げて行動して、世の中を変えてきたのは歴史を見ても明らか。
私は、大勝利でなくとも、ささやかなものであっても、「ざまあ」を喜びたい、あきらめずに頑張った「あなた」と。